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最近こちらをさぼり気味なので、まとめて近況報告。
---------------------------------------------------------- 物件探しをした。2度目の内見で幸運にも私と共鳴するお部屋発見。予算1000円オーバーでしたが許せる範囲。 場所は代々木徒歩3分、新宿からは徒歩10分。築27年だけどがっちりしたマンションで、共有部分がとてもきれい。部屋は広くはないけど狭くもない。1Kで部屋が狭いより1Rで部屋が広い方が気持ちいいということがある、てのを勉強した。 便利な場所なので多少割高はしょうがない。深夜に音楽聞いても壁蹴られたりしなくて、ゆっくり寝られてリラックスできて、ガスキッチンでたまに料理したりできれば充分。 次の課題は物を増やさないこと。すでに必要なものから購入していくと結構な品数をそろえないと普通の生活ができない。ひとつひとつ品定めして、長く使えるものを選ぶように相当気をつけている(衝動買い派なので)。 コンセプトとしては「アジアンリゾートのホテル」にありそうなモノ、色、デザイン、インテリア。シンプルに、ナチュラルに。まだそんなに言えるほど何もそろっちゃいないけど、ホテルの部屋の簡潔&便利&快適さを自分の部屋で実現してみたい。 そしてこの新生活に思ったより高額のお金がかかっている。敷金礼金に一式そろえる家具家電だから当たり前なんだけど、少し甘く見てたな。。引越後しばらく質素に暮らそうっと。 ------------------------------------------------------------------- あるドイツ人兄弟ととても仲良くなり、その仲間と一緒に恵比寿のちっこいバーにハングアウト。仕事を上がってからだったが、朝5時くらいまで飲む。まあ仕事半分だったこともあり「酔えない」場だったのだがそれでも面白かった。アメリカ人よりヨーロッパの人のほうが比較的深い話に入りやすい側面はあるかもしれない、文化的、歴史的側面においてだけど。距離感を保ちつつお互いに理解を深められ有意義な場であった。 22日、同じ人に、言わずと知れた老舗の名店「ステーキハウス・ハマ」で高額ステーキをごちそうになる。たまたま早い時間に「たまには美味しいもの外食したい〜」とつぶやいていた数時間後。夢のような体験だった。ありがとう…。 今後もずっとずっと続いていくであろう関係を築き上げられたと感じるのは、素敵なことだ。 -------------------------------------------------------------------- 24日、上記のドイツ人兄弟などをホテルに送り届けた後、店の新年会に合流。うちの店のスタッフだけではなく青山某店のスタッフもたくさん合流し、総勢30人くらいの賑やかな飲み会に。 ここで私は偉業を達成した。ホルモン道場というチェーンの焼肉店だったのが、次の日思い返してみると私は肉を一枚も食べていなかったのだ。口にしたものと言えばオイキムチ一片。これってすごいです。肉が目の前に山盛りあるのに話に夢中になってて…。 ま、たまに、話が充実しちゃうと起こりうること。食べ放題飲み放題4千円の元は「飲み」のほうで取ったからまあ良しとしよう。 以前からもっとコミュニケーションを取りたかったある人とたくさん話し、終わらずもう一軒向かったのが5時。西麻布のアイリッシュバーに到着すると先に帰ったはずの約6名くらいが(とはいっても半分はもう寝ていたが)。またここで熱い話炸裂!ギネス一杯とかで8時くらいまで居座ってしまった…。 ------------------------------------------------------------------- 25日。タイマッサージ、美容院、ウィンドウショッピングという恒例の休日コースのあと、新宿ゴルトンカフェにて飲む。 旧職場の仲間と飲むのなんて私の送別会をやってもらった以来、約3ヶ月ぶり。 まあうちの店にはちょこちょこいらしていただいているのでそんなに「久々」という感じじゃなかったが、ただ飲んでいる最中に改めてメンツを確認すると、懐かしいという感想は否めない。 みんないい人たちで飲んでいて楽しいんだけれども、正直、私が違う世界に住んでいるせいか以前よりも距離感を感じてしまった。でもこれは仕方のないことで、続いていく相手はしかるべきかたちで続いていくし、なるようにしかならない。時期がくればまた気持ちいい関係に落ち着くさ。Everything gonna be alright. ------------------------------------------------------------------- そして今日。美味しいワインが飲みたいな〜と夕方から思っていたら、深夜帰宅してみるとシャンボール・ミュジニーが私を待っていた。父の飲み残し、しかもちょうどいい量が。 今年頭、風邪引くし仕事は躓くしで「もしかして運気が」と思っていたが、どうやらそうでもないらしい。今のところ、「思ったことは、既に用意されている」という状況がある。 良い傾向。3月の30歳に向けて、運気がキープされて、そして花開いてほしい。花開くように、自分でも頑張らなきゃと思う。 ワイン美味しいな〜。チーズも願っておけばよかった。 ↑ここまで書いていったんアップしたんだけど「もしや」と思って冷蔵庫を探ると、弟のいつだか買ってきた賞味期限ギリのゴーダチーズが!! 最高!My Sweet Brother! しかしこれは、願いが叶っているのかそれとも勘がいいのかどっちなんだろう。 #
by the-beat-goes-on
| 2006-01-29 02:47
| Daily beats
ジャズピアニストの本田竹広さんが12日、亡くなられた。
日本のジャズ史の一時代を築き上げた、真の芸術家であったと思う。 ご冥福をお祈りしたい。 彼は国立音大卒である。このころの国立音大は、山下洋輔、古澤良治郎、中村誠一といった数多くの優れたジャズミュージシャンを輩出している。時は1960年代半ば。アメリカ本国ではジャズが完全に認知され、パーカーやアートブレイキー、クリフォードブラウンなどが作り出した一時代を経て、多くのミュージシャンが新たな方向性を模索していたとき。日本でジャズを志す若者は、もはやバップではなくモードからフリーへと目を向けていた。 クラシックの登竜門である国立音大にもアメリカからのジャズ流儀は流れ込み、数多くの「異端」を生むこととなった。まあ大半の学生からも彼らは変わり者として見られていたらしいが。 この話は、実は母から聞いたものだ。母は当時国立音大フルート科に在籍し、一つ上に本田竹広、同期に古澤良治郎、中村誠一がいた。もちろん彼らも単位をとらないと卒業できないからある程度授業には出ていたらしい。 母曰く。本田竹広はバッハを弾かせたら横に出るものはいなかったそうだ。 ジャズという(母とその他大勢にとって)わけわからん音楽をやっているとは言いながらも、クラシックのメインストリームを美しく弾かれてはモテないわけがない。さらにはその長髪とヒッピー風の雰囲気が女の子たちにはミステリアスに映ったのだろうか。母は本田さんと電車がいつも一緒だったそうで、友達のラブレターを渡してあげたことがある、といつも自慢げに言う。 脳内出血で倒れたのは1995年のこと。青山Body&Soulの京子ママが病院に付き添い、一命は取り留めたものの大きな後遺症が残る。さらにはリハビリ中の1997年にも再度の脳内出血。私が本田竹広の演奏を初めて聞いたのはその後のことだ。意のままにならないながらも現れる本田竹広の魂の音。なんだかそれに感動してしまって強烈なライブだった。ドラムスは実の息子である本田珠也。天才的ドラマー。このときはメタリカの、しかもチビTを着ていた。ベースは米木康志。最高に心揺り動かされるライブ。 その後も2度ほどライブを見に行っただろうか。ほぼ半身麻痺に近い状態のため、MCも耳をこらしていないと何を伝えたいのか聞き取れない。ピアノも、体調が悪そうなときは聞いていてしんどいと思ったこともあった。 ただ、本田竹広の魂の光る瞬間を感じに行っていたと思う。 若かりし頃の、パワー溢れ才能溢れる本田竹広の片鱗に触れたかったし、母の見ていた本田竹広を知りたかった。 本田さんは、今年5月にコンサートを企画していたという。鈴木良雄(ベース)、森山威男(ドラム)とのサントリーホール(小ホール)でのライブレコーディングで、「The Great Departure」というタイトルにてCD発売される予定であった。本当のDepartureになろうとは誰も思っていなかっただろうが。このライブの話はおそらく本田竹広にエネルギーを大いに与えるものだったのだろう、12日12時過ぎごろ、本田さんより母上にこのライブについての喜びの連絡が入ったという。そして6時間後、彼は永遠の眠りについた。 バッハを弾かせたら大学一だったのだろうけれども、多分とても優しくてとても不器用な人だったのだと思う。それが彼を創作に駆り立てたし、酒に走らせた。61歳という年は若すぎる、と思うけれど、彼は走り抜いたのだろう。身を削ってね。 音楽に真摯な人だった。人に真摯な人だった。 竹広さんお疲れさまでした。あなたという存在を失うのはとても悲しいけれど、一つだけ伝えたいことが。 本田珠也という天才ドラマーをこの世に残してくれて、ありがとう。 あなたのスピリットは、珠也さんをはじめとして、多くのフォロワーが受け継いでいます。 安らかにお眠りください。 #
by the-beat-goes-on
| 2006-01-15 03:49
| the_beat_goes_on
おそくなりましたが
あけましておめでとうございます。本年もなにとぞよろしくお願いいたします。 年賀状すらロクに出せていない。どんなに忙しくても年賀状だけは必ず皆さんに 出していたのだが。徐々に返事を書いているが、まだ届いていない皆さん、 ごめんなさいね〜せっかくいただいたのに。 時間を見つけてお返事いたします。 昨年末は思い切りアーティスト然としたアーティストに振り回され、嵐のような日々 であった。結果的に非常に良い経験となったけれども、勤務時間数は伸びるわ、 全てが予定通りに進まないわで体力精神ともに負担になる日々でもあった。 まあこれを乗り越えればお正月休み、やれるだけやってみせるからドーンと来い、 なんて思っていたから、あのタフな日々を乗り越えられたのかもしれない。 アーティストという人種を再確認させられた。 だが理解のしあえた私たちは、共に素晴らしい大晦日を過ごし2006年の幕開けを 祝ったのであった。 仕事を終えてから「おつかれさま宴会」は朝8時半まで続き、家に帰って寝たのは 10時。親戚が来たので無理矢理起きたのが18時、またお酒を飲みおせちを食べ 寝たのが1時。次の日起きたらなんと14時だった。 その間一度も起きなかった(笑)。初夢見ている場合じゃない。 否応無しにたまっている疲れの酷さを認識。 飛び起き準備、外出し、吉祥寺のパルコにてバーゲン15分一本勝負。 5着購入という記録的快挙を成し遂げ、母方の親戚の集まりへ。ここでも飲んだなあ。 お酒を飲んでいて頭が痛くなったのは、これまた疲れと肩こりのせい。 3日は美容院、これは達成。大幅に髪型を変える。「おばちゃんパーマ」ではない ショートウェーブに挑戦。まあ、成功かな。 4日はタイマッサージ。あとスーツを一着買う。 の予定だった。 昼頃、上司より電話があった。 「悪夢が戻ってきましたよ」 なんと年末のアーティスト、京都で年始を過ごして帰るはずが、腰痛を訴え東京で 医者に行くべく、新幹線で向かっているという。 な、な、な、、、私の貴重なお休みが…。タイ、タイがぁ。。 だがそんなことは言っていられん。東京駅へピックアップしに向かい、そのまま病院。 本人、歩けないくらいの腰痛に襲われ、駅でも病院、ホテルでも車いすを手配。 病院での診察を終え、ホテルまで送り届ける。 イレギュラーなことばかりの一日で、もうぐったり。幸いにも親友が寿司を食べに 連れて行ってくれ、その後ハシゴでバーと蕎麦屋をまわり、気分転換できたけれども。 まあそんなこんなで正月の静寂さなど無惨に打ち破られ、怒濤の2006年を迎えた わけでした。 気分的にはまだ2005年を願わずも引きずっている感じが否めない。一人だけ 「去年」の時間軸に取り残されてる、みたいな。 ただしそのアーティストから思わぬスペシャルギフトをいただき、非常にぐっと来た。 そんなに認めてくれているとは、思わなかった。人っていいなあと思ったし、 自分を削って仕事して心より良かったと感じた。 そんなドタバタを過ぎ、ちょっと体力的に落ちている。体力が落ちると精神力も 落ちるものだ。これは、良くない傾向。あくまでもstableでいたいもの。 そしていつでも余裕のある笑顔をみんなに見せていたいものです。 クナイプのソルトバスで体を温めて、よく寝よう。 そして明後日こそ、昨年末から念願のタイマッサージ、じっくりやってもらおうっと。 #
by the-beat-goes-on
| 2006-01-09 02:19
| the_beat_goes_on
疲弊している。「疲労」ではなくって「疲弊」。
クリスマスの嵐を越え多少落ち着くだろうなんて思っていた私が甘かった。 なにげに今週、トップを争うトラブルウィークになっている。 あと、4日…。 12月、長い。計30日働いているから当たり前なんだけど、 この4日がとてつもなく重く心にのしかかってくる。 芸術家を相手にする仕事っていうのは、一筋縄ではいかないなあ。 昨日、事務所の「姐さん」の誕生日と、ヘルプで来てくれている旧知のNくんの ラストデーだったので、ビル内の中華ダイニングに飲みに行った。 多忙の中、一杯飲む時間すらロクに作れない日常で、 この時間の貴重なことと言ったらない。 山積する問題も、一つ一つ話し合って解決していくしかないのだという意味から 言っても、本当に大切な時間。 気づいたら5時、閉店の時間だったのでやむなく帰り、寝たのが7時だから 疲れて当たり前なんだけど。後悔はない。 すべてがギリギリの線で持っている感じ。 人とのコミュニケーションも、仕事のまわり方も、自分やみんなの体力も。精神も。 あと4日。4日踏ん張らねば。 ビールを飲みキムチをつまみながら、気合いを入れなおしている、今夜。 #
by the-beat-goes-on
| 2005-12-28 02:26
| Daily beats
日本には、「言霊」という言葉がある。
言葉には、魂が宿る。これ自体を信じるというより、 その言葉の選択、言ったという精神、全て絡み合って他要素に影響 しているという事実を言霊と言うのだろう。 ネガティブな言葉ばかり吐く人間がいる。 人の悪口を多く言う人間がいる。 こういう人たちとは距離を持って接していかねばならない。 巻き込まれないように。 絶対に前向きな言葉しか使わない。 これを遵守しているからこそ自分が救われている気がする。 すべてのことが好転して自分の方に向いてくる。 一度毒を吐き出してしまうと、すっきりするどころか bad spiralに嵌っていく自分の性格を、よく知っているので、 こんな時期こそ、言葉のチカラを信じたい。 #
by the-beat-goes-on
| 2005-12-25 01:52
| Daily beats
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