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マニュアル車を久々に運転すると、ギアをはずしニュートラルに戻した時のくねくね感が心地よかったりする。今は、力が入ってないぞ、という脱力感。
今のわたし、そんな感じ。I got back to the neutral. 歪んだ背骨、凝った肩。落ちた精神までも、一発の整体によってバシッとなおる。毎年の佐渡旅行は私をそんな状態にしてくれる。 そして東京に戻ってきた私は、インターネットを使いたくない、電車にすら乗りたくない、エアコンの下で仕事をしたくない、コンビニで昼ご飯を買いたくない、上司の下らないギャグを聞きたくない、そんな、都心で仕事をするには抜け殻すぎる状態なのである。 佐渡に初めて行ったのはかれこれ8年も前のことになる。 いきさつを話すと長くなるので割愛するが、それ以来ミスしたのはたったの2回。冬の旅行も含め、佐渡には計7回も渡っていることになる。 こんなに一つの場所に通い詰めるのは、他に例がない。だがその理由は、良い自然、良い空気、良い人々のいる場所において、良い音楽、良い食事を堪能し、そして素晴らしい家族の存在を確かめることができるからなのだ。 自分が自分に戻れる場所。 こんなフレーズを頭に浮かべながら、自分が自分でいられないこの日常をおもう。 だがその日常という試練から逃げ続けてきたこの29年を経て、そしてそれは決して逃れられないものなのだというここ数年の認識をもって、この非日常の時間の尊さを再確認し、そして一瞬で過ぎ去るこの夏の幻を、必死に脳裏に焼きつけようとするのである。 ----------------------------------------------------------- 佐渡への旅。それは、朝7時に起きることから始まる。 車のチェンジャーに入れるCDをセレクト。これすら旅の印象を大きく左右する、重要な儀式である。今年は兄夫婦と甥っ子を連れているので、比較的わかりやすいものを。かねてから甥っ子にスティービーワンダーを聞かせたいと思っていたので、「Songs in the Key of Life1&2」を。その他は、真夏のドライブに似合うファンク系、エレクトロニカ、R&B系、そして母の好きなジャミロクワイ。 去年母がパットメセニーに感動したのもこの佐渡に向かう車内だっけ。台風一過の青空の下、メセニーの音が北陸道に気持ちよく響いた強烈な印象がある。 7時半、出発。8時過ぎ、関越。運転、母、助手席、わたし。後ろに兄家族3人。 予定と違い「マザーグースのうた」をかけながら。 「ハンプティ、だれも、おこせな〜い」 何でこれだけ英語なまりの日本語なんだろう。 2歳の甥っ子は寝不足ですでにご機嫌斜め。最初はバスをみたり踏切を通ったりで興奮していたものの、次第に口数が増えトーンが乱暴になる。だがスティービーのメジャーコードの曲(ex. Isn't She Lovely) が流れるとおとなしくなるのは、さすがスティービー。 SAの直前でタイミング悪く寝てしまう甥っ子を起こすと更に面倒なことになるので、休憩はたった一度のみで北陸道にはいり、早く着きすぎても困るのであえて80キロ前後で器用に走り、直江津港についたのは12時過ぎ。逃げ場のない港に照りつける過酷な太陽が、夏のおわりを彩るこの3日間の猛暑を予感させる。 なぜかここで、暑いのにラーメンを食べるのが恒例。 やっぱりちょっとMッ気があるのか、うちの家族。 フェリーは適度にすいており、快適極まりない。 顔と腕と日焼け止めを塗りたくり、エビスビールの350ml缶を持って、4Fの甲板に上がる。カモメと眺める穏やかな日本海。 母と二人、離れていく本州を眺める。この瞬間がたまらない。海の真ん中で、日常が遠くなっていくのだ。この快感を楽しみに、東京JAZZのイヴァンリンスより佐渡のアースセレブレーションをとったようなものだ。 ふと思った。この状況には、リチャードボナがいいんじゃないかな。海の上でも山のなかでも彼の声はふっと溶け込み、暖かい印象を残して消えてなくなる。 セレクトしたのはあえて、マイクスターンの「These Times」の二曲目、Silver Lining。この曲の空気のようなボナのボーカルが、カモメの舞う日本海の碧色に溶け込んでいく。ああ、たまらない。ビールをもう一本飲んじゃおうかという気分になるもんだ。 ----------------------------------------------------------------- 一日目はライブはそこそこに、お寿司を食べにいった。 夏とはいえ、素晴らしいネタをだしてくださる、「りきすしさわだ」の板前。ガラスのケースのない、シンプルなカウンター。 一度ここには真冬に行ったことがあるが、ぐうの音も出ないというのはこういう状況を言うのだろう。出るネタ出るネタ素晴らしく、握りの具合も上品な江戸前でポンポンと口に放り込んでいける。また佐渡には冬にも行かないとな〜、と思わせてくれる寿司屋。地元のひとたちは、「ここしかない」と断言するほど。 佐渡に行かれるかたは、ここでお寿司を食べてください。 真稜の純米酒(これも地元のかたのオススメ。本当に美味しい、東京では買えないお酒です)とともに、じっくりと日本海の育んだ恵みを、味わって下さい。 二日目。甥っ子初の海遊び。 号泣に終わった(笑) しかし夏の佐渡の海は本当にきれい。色んな「あお」が、混在して混じりあう。ダイビングをすると、石鯛などが目の前を泳いでいくそうだ。真夏にもかかわらず、人の数はせいぜい30人くらいだろうか。とてつもない贅沢な、素朴なビーチ。ここで私は、いっつも午前中から気がつくとビールの缶を持っているのだ。 とにかく気持ちいい。空の「あお」と海の「あお」の境目すら曖昧になってくる。 一度宿に帰り温泉にはいり、近所の魚屋さんにいかそうめんを食べに行ったり、港のまわりのフリーマーケットで雑多なものを物色していた。が、とにかく暑い。芝生なので逃げ場がなく、否応無しに強烈な紫外線を浴びることとなる。 とにかく、汗をかき、ビールを飲み、汗をかき、ビールを飲み。やはり1時間もたたないうちに耐えられなくなり宿に退散。極楽昼寝タイムである♪ -------------------------------------------------------------------------- おはよう。 5時に起き、出発!念願のライブの時間だ! 食料を買い込み会場である城山公園へ。今日のライブはケルト。スパニッシュケルトの新星、カルロス・ヌニェスである。 毎年毎年ゲストミュージシャンが変わるこのイベントにおいて、今年は大当たり!と言っても良いだろう。最初の音、カルロスのホイッスル(リコーダー)の音を聞いただけで、一瞬でそういうことはわかるものだ。PAのバランスがエレクトリックすぎてバスドラムのベキベキ音に甥っ子が目を丸くしていたが、それを差し引いても演奏にほぼ100%集中できるほどの引き込みかた。圧倒的なテクニック、ブレスワーク。彼の弟のパーカッションもすばらしい。ブラジルのパンデイロを一回り大きくしたような巨大なタンバリンを、ミュートする指によってピッチ調節し、ベーシストのいない編成でベースの役割を十分に果たす。クラシカルなケルトであり、かつ非常にパワーを内包しているバンド。 パットメセニーみたい。 そういう意見があった。私もそう思った。 未だ見ぬ景色ですら、脳みそのなかに鮮やかに描き出すような彩り深い表現。 アイルランドの風景が、佐渡の森のなかに溶け込む。 甥っ子がトイレに行っている隙に、空いたスペースに寝転がって空を見つめる。星空じゃない、曇り空だったけれども、バグパイプから奏でられる圧倒的なメロディがその空に消えていく。こんな自由な楽しみ方ができるのも、フジロックではなく佐渡ECならではだ。 ステージ向かって左方面では常に稲妻が光っていた。ステージ上ではまるで嵐を呼ぶようなドラマティックな音楽。こりゃ、来るなあと思っていたら案の定、ぽつぽつと、スポットライトの合間を縫って雨が降ってきた。曲はロドリーゴ、アランフェス協奏曲。いや、この組み合わせがたまらない。バグパイプによって紡ぎだされるスペインの巨匠の音楽と、佐渡の雨。申し訳ないけれど、雨に驚いて必死で帰り支度をしている家族を手伝うふりをしながら、ひとり、もっと降れ、もっと降れと思っている私がいた。 カルロス・ヌニェス。驚くことに同い年。その年からは想像できぬ、そのオーラ、たたずまいは随分長い間彼が「一流」と呼ばれる場所にいたことを意味する。禿げ具合はフランシスコ・ザビエル級、俗にいう「かっぱヘアー」。何を吹かせても完璧なフレージング、タンギング。特にその節回しは熟練の技という域に達していた。 第二部は耐えきれず、最初の最初からダンシングゾーンに飛び込み、踊り狂った。今まで一度もやったことのないケルトの踊り。とっても踊りやすい(笑)。シンプルなリズムと複雑な音使いが体もテンションも全て暖める。家族も帰ったと思っていたが、後ろの方の木陰で見ていたらしく、雨がやんで戻ってきた。甥っ子、びっくりしてまばたきすら出来ず、という段階を超え、最後は自らステージに拍手を送っていた。私はヒッピーの外国人客の群れに突入し、踊り、飛び、2リットルくらい汗をかいた。サウナに入った後のような吹き出す汗。せっかく飲んだお酒も全部抜けてしまった(笑) 宿に帰って、温泉に入るとやっと気持ちが落ち着いた。 何を思ったって、カルロスの演奏を明日もう一度聞けることが、嬉しくてしょうがなかった。 -------------------------------------------------------------------- 三日目。 気持ちの良い熟睡から目覚め外を眺めると、またも快晴。毎回そうなんだ、夕方にたとえ曇っても、昼間はゴキゲンな太陽が顔をのぞかせて、という程度じゃなくガシガシに恵みを与えてくれる。 この日は、千石船で栄えた古い街、宿根木をへて、今回の佐渡ECの主催者、鼓童の本拠地へ。合宿所、稽古場。まだツアー客が来ておらず、がらがらであった。甥は初めて近くで見る太鼓に興味津々。最初はおそるおそるであったものの、そのうちにコーフンして両手でバチを振り上げ太鼓を叩き始める。本人は大人になった時に覚えていないかもしれないが、今回の旅の過剰すぎるインプットの多さは必ずや、彼の情操アンテナをくすぐっていることと思う。 その後しばらくドライブのあと、家族と別れ、となりのとなりの街までジャズを聴きにいった。仲野麻紀(As)、後藤理子(Pf)。どちらもパリにて活動しているミュージシャン。麻紀さんの師匠である林栄一さんの愛弟子、佐渡出身のK氏のアレンジにてこのスペシャルコンサートは実現したという。日本中の色々なところでこういう活動を起こしている20代30代というのを非常に頼もしく思うし、地元の音楽をやっている若者たちにも大きい刺激になるのではないか。こういったことが日本の音楽文化の底上げにつながるのではないかと強く思う。 その演奏は、非常に素晴らしかったと言わせてもらおう。これは、本人たちとも色々と話して仲良くなったから言っているのではない。 オンリーワン、彼女らしか発することのできない音を発しているから、そう言えるんだ。 技術的にも相当よく練習しているなという印象を受けたし、さらには自己表現とのバランスが適度に取れていて、どっちだけを聞かせるということがなかった。 これって当然のように思えて一番難しいことだ。 みなさんのイメージを掻き立てるために敢えて例えを出すなら、ECM盤で吹いているリーコニッツ、みたいな、ソフトなんだけれども主張のあるアルト。わかるかな。まあ真っ昼間に聞くより、どっちかというと煙たいジャズクラブでバッファローチキンかなんかつまみながらラムのロック、バーボンのロック、あたり、氷が「カラン」とまわる音とともに聞きたい!!感じでありました。 正直、バップ系かキレイ系の日本のジャズシーンにおいてああいったメランコリックな音も、意外と受け入れられるのではないか。特に若い女の子がやっている、となったら、バーやホテルのラウンジで仕事するのには困らないかもしれない。 ------------------------------------------------------------------- さてあまりの灼熱ぶりでフリマをぶらぶらする気も起きなかったこの3日間をしめくくる、日曜日の城山コンサート。 雨の心配もあり、一番後ろに場所をとる。うちの家族は極端なんだ。演奏者の表情どころか、鼓童の誰が叩いているかすらもわからない(涙)。しまいには熱を出した甥っ子を心配し、兄家族は帰ってしまう。結局は知恵熱だったらしく次の日には完全に元気になっていたが。残された母と私。サックスの麻紀さんらとがんがん踊りにいくものの、母がどうしているかちょっと心配で、前日ほどはスパークできなかった。 だがその印象はまた強烈で独特のもの。 バグパイプの響きは雅楽楽器の倍音と似ている。特に和太鼓とあわせると、これは雅楽で使われる笙(しょう)にしか聞こえない。またフレーズを奏でるそのときは、篳篥(ひちりき)のよう。 単体で聞くと間違いなくヨーロッパの民族衣装的イメージの楽器が、法被と太鼓と奏でられると何も違和感なく溶け込むというのは非常に興味深かった。 ----------------------------------------------------------------------- ライブの余韻をひきずって、目覚める最終日の朝。 体は決して重くない。ただ、ただ、心が重い。 何故にこんなにあっという間に、時は過ぎていってしまうのだろう。 京都から自転車で来たイギリス人の女の子、その他、一言二言会話を交わした彼らとは、もう一度会うチャンスがあるのだろうか。 カルロス、あなたの演奏をあんなに極楽な場所で聞ける機会は、、、もうないだろう。 佐渡紀行の終りは、冬の始まりを意味する。 ちょっと早いとみんな思うだろう。でもこれは事実だ。夏も飽和の状態で行われるイベントだからこそ、この名残惜しい気持ちと夜の秋風が、私をより辛くさせる。 だから一分、一秒でもこの楽しいときが続けば良いのに、と願うのだが、年を追うごとに過ぎていく速度は加速するばかりだ。 そして私は、佐渡という場所が、毎年、より好きになる。 今後、なにか悩みがあったとき、行き詰まったとき、訪れる場所になるのは間違いない。 森に抱かれ海に癒され、本州と離れ、ひとりでニュートラルに戻るのには最適な場所である。 最後に、このたびお世話になった佐渡のみなさん。コンサートで会ったみなさん。 本当に感謝しています。あなたたちの暖かさ。すばらしい。 ひとって、いいなあ、と思いました。 あつかましくも、また佐渡を近々訪れた際にはよろしくお願いいたします。 カルロス、ほんとうにありがとう。あなたの音楽は、私に音楽の本質を教えてくれました。何が本当に大切なのかを、暖かく、優しく伝えてくれました。 日本人が持ってしかるべきフィーリングを、教えてくれました。そのおかえしに、私たちは、あなたの音楽を日本に紹介していきます。同級生、頑張ってほしい。 鼓童。 あなたたちが紹介してくれるから、あなたたちが窓口になってくれるから、そしてあなたたちがすべてオーガナイズしてくれるから、毎年の軸になるような佐渡紀行ができています。本当に、ありがとう。感謝してもしきれない。鼓童がいなかったら、これをやってくれていなかったら。夏にどこに行こうか迷ってしまします。どこに行くべきなのかわかりません。 雷雨。 船が港から出港すると同時に、目の前が見えなくなるくらいの豪雨。稲妻。 埠頭で送ってくれた鼓童のみなさんの太鼓は果たして大丈夫だったんだろうか。 10時半に佐渡を出て、家に着いたのは19時半。実に9時間という時間がかかっているが、フェリーで寝られるせいだろうか、そこまで遠くは感じない。 それよりも疲れよりも、佐渡から離れてしまった自分、都会に戻ってきてしまった自分が、辛くてしょうがなかった。 ここ一ヶ月のうちにニュートラルという感覚は脆くも崩れてしまう気がする。 ただ私の財産は、この経験だ。引き出しにしまっておいて、いつでも出せばいい。 だって私はいつでも、戻ろうと思えば佐渡に戻れる。どこにでも戻れる。 そんな余裕を、いつでも持っていたい。 ありがとう、佐渡。ありがとう、家族。ありがとう、偉大なミュージシャンたち。 それしか言えません。
by the-beat-goes-on
| 2005-08-24 01:27
| the_beat_goes_on
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