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ここ最近、身の回りの人がそれぞれ大変な状況に陥っているという事実がある。
軽めなところからいくと、30歳を目の前にしてもがいている、直属の後輩。私もそうだったからよくわかるけれど、冷静じゃないまま仕事を辞め南米へ1ヶ月の旅に出ようとしており、でも辞める理由がはっきりしているわけじゃないから(生き方に迷っているだけだから)結局「辞めます」と本人が断言できず、それが理解できる私も彼女に付き合ってあげている現状がある。 本来なら、長期休暇帰って来て、そのまま出勤してこない可能性がある、なんて仕事としてあってはいけない話なんだけれども、それを許しちゃいけないんだけれど、でも彼女に「残りたい」という気持ちがあるのは事実だし、それを彼女自身が素直に肯定するまで待ってあげようと思った。それでまた辞められて一番困るのは私なんだけれど、そのリスクは覚悟していて、もしそのケースになったときの穴は、私が全部埋めるつもりでいる。だから、彼女に起こっている波風を、静かに、見守ってあげたいと思う。 だってせっかく出会ったのだから。彼女の選択の責任は持てないけれど、彼女の選択の自由だけは、急かすことなく存分に与えてあげたいし、残ると言われたら今までに引き続き、彼女の良さが一番出るようなポジションに起用してあげたい。 かつて出会った上司がそんな人ばかりではないが、私は下について来てくれる仲間に対しては、そういったスタンスを貫きたい。 ------------------------------------ 独立しようとしていて、うまくいかず、もがいている友達がいる。 彼はとても商才があって頭が良い。たぶん、今まで出会って来た友達のなかで、一番商才がある。 そもそもは、24のときにアメリカを一人旅していて出会った人だ。ニューオリンズでワニを食べて食中毒になって、死にそうな思いをしつつもメンフィスにたどりつき、メンフィスでは半分くらい寝ていた(モーテルがとても綺麗で快適だったのが救い)。その後、ほぼ半日くらいで行きたいところを巡り、夜22時半のアムトラック(特急列車)を待つあいだ、ハードロックカフェにて時間をつぶしていた私に声をかけてきたのが、ユースホステルに泊まっていた日本人たち。その一人が彼で、聞くところシンガーソングライターのようなことをやっていると言う。吉祥寺は、本拠地のひとつだと言う。ライブに行く約束をして連絡先を交換し、別れた。 その、たった1時間半の話から始まって、7年後の今まで関係が続いているのも面白いでしょ? 帰国後2回ほど飲みに行き、仲良くなったとはいえ、その後、彼は自転車日本一周の旅に出てしまい(各県の主要スポットでライブを行い、その収入だけで日本一周を成し遂げた)、その後も本当に1年や2年に一回くらいしか連絡取り合わない仲になってしまった。 その彼と、久々に飲み歩いたのが2004年のNY。それまでの空白の2年間の話を聞いて、こいつすごいな、と純粋に思った。 なんと彼は、NYに来る前、人材派遣会社を立ち上げ、年収3千万という立場になっていたのである。状況を見切り、今必要なビジネスを足かせなく始められる行動力の塊のようなヤツなのだ。我々の父親くらい、50代後半〜65歳くらいの本当に実力があるがリタイアしている層を掘り起こすような事業をして、そうなったのだと言う。 だが、お金が色々なことを狂わせて、彼は再び、日本をあとにした。 その後会ったのが、昨年12月。まったく、こいつは会うたびにすごいニュースを持ってくる。 前回NYで会ったときは、語学学校の留学生だった。ツアーガイドのバイトをしながら。だがその後、彼は、NYでも年収1千万選手へと変貌していた…。まさにアメリカンドリーム。 すべて彼のコネクションからチャンスを持って来て、それを倍増させるパワーがあるヤツなのだ。 そんな彼が今、帰って来て、苦しんでる。日本で、絶対上手く行くと思っていたことに、ことのほか苦戦している。珍しく弱音を吐くようなメールと、覇気のない言葉。 どうしたものかなと思いつつ、でもどうも出来ないのはわかっているから、「心のままに生きなさい」という一言、送っておきました。 どうやら、効いたらしい。 -------------------- もうひとつのケースは、とても書くのには痛い感じで(たぶん、いつか違う形で書き記すことがあると思う)、言葉に上手く表現できる自信がないので慎むけれども、なんかやっぱりみんなそれぞれ大きい波、小さい波あって、それにうまく乗れたり、乗れなかったり大波にさらわれたり、そんなところで生きているんだなと実感する。 だからこそ美しいものが人を救うんだと思う。心動かされるものが。 そのバランス。いかにとっていくか。 年齢を重ねるごとに、人間の、人生の本質って見えてくるし、そこでの辛いことも増えてくる。 だから、それに備えるために、美しいものに対する感受性を磨く訓練を、しなければいけない。美しいものというのは、生きている人間の叫びだから。もしくは、人間同士のつながりから生まれてくるもの。 それを、その美的感覚を教えることだけが、教育である気がする。 他は、延長でしかない。音楽も美だし、数学も美。歴史も美だし、国語も美。体育も美。 どこかでつまずいたら、つまずいた自分をまず認めてあげて、その分じっくり、「芸術」という保養液を注入してあげることが必要。人は、余裕がなくなると、それを忘れてしまうから。
by the-beat-goes-on
| 2007-02-23 03:42
| Daily beats
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