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10月18日夜。
京都にいる。たったひとりで。 一年前の今日はNYの雑踏のなかに在り、今年の今日は京都に在る。 この事実は私には、とても暖かく心地よいものに感じられる。 ほぼ定時にて会社を飛び出し東京駅へ。お弁当とビールを買うが、10分後の発車まで待ちきれずホームにてビールを開け、まわりのお父さんたちみたいにごくっと一口。これから始まる旅に思いを巡らす。 車内はラッシュ時もあって満席。だがラッキーなことに、私の隣だけが何故か一席空いている。このおかげでお弁当の肉団子が投身自殺を図ったときも彼は空席に落下し、誰にも迷惑をかけずにすんだ(笑) 一年半ぶりの京都。前回は特別な旅だった。そのとき泊まった駅ビル内のグランヴィア京都。看板を見るだけでぐっとくるものがある。 その思い出を胸に新しいスタートを迎えることの出来るこの旅は、私にとって特別な意味を持つ。 今回泊まるリーガロイヤルホテル京都は、今年70周年だそうだ。確実なサービスに定評のある、駅の近くの落ち着いたホテル。ウェブ割引にて8千円という破格だったのだが、部屋に入ってみるとなんとツインルームのシングルユース。ラッキー!良い兆し。 ただでさえテンションの上がっていた私は、移動の疲れも顧みず、荷物を置くのももどかしいほどの勢いで、月の光に誘われ街に出た。 そう、東京は雨、京都の空は澄み切っていた。 知らない街を一人で歩くのは大好きだ。知っている人が誰もいない場所。寂しさに包まれる、その感じが好きだ。 何かに取り憑かれたように、どんどん歩く。歩き疲れたころに、その街の本当の表情が見えてくる。 ホテルは駅から徒歩5分ほど。そこから黙々と歩いて、気づいたら五条に出ていた。烏丸通を更に進み、四条の繁華街へ。お寺ももちろんだが、いかにもの商業地域を歩くのも嫌いじゃない。その街を担う人々の顔を見ることが出来る。 本当は河原町あたりまで行こうとしたのだが、さすがに疲れ、烏丸通を戻ってくると東本願寺が見えてきた。 夜の暗闇に浮かび上がる寺は、あまりに荘厳で恐ろしいほどだ。 前を通るだけで、しっとりとした空気が身を包む。早足になる。 ふと、空を見る。満月が私を導いている。 明日、明後日。ゆっくりとこの古都を楽しもう。 --------------------------------------------------------------------- 10月19日 足もとにそそぐあまりに暑い日差しに耐えられず、目が覚める。 ドアの外ではかん高い声の男性が、知らぬ国の言葉で何やら口論をしている。ここはどこだっけ、と一瞬迷う。 準備をし外に出て、スターバックスにてコーヒーとサラダの朝食。オープンテラスの隣の席は、外国人のご夫婦、こちらも未知の国の言葉を話しておられる。スタバに入ってくるお客さんの8割が外国人。国際的な観光都市「京都」の威力を思い知る。 ふと見ると隣のご夫婦の奥様が、たばこを巻き始めた。のり巻きに使うような「簀(す)」らしきものを取り出し、一瞬で巻く。おほ〜、かっこいい。妙齢の女性が紙巻きたばこ。ヨーロッパの粋を感じてしまった。 さて、友人の教えてくれたようにプラッツ近鉄の無印良品にて自転車を借りる。10時〜18時までで、1,050円。リーズナブル。 一気に龍安寺まで走り抜く。と書きたいところだが、もちろん山に向かって走って行くわけだから、ずっと上り。平坦に見える西大路通なども、微妙に上り。ギアなしの無印チャリで、汗だくになり、50分。龍安寺についたときには若干グロッキーな状態になっていた(笑) さて。龍安寺。 ある敬愛する女性は、「ここは私のRefilling Stationだ」と言った。 ある有名なミュージシャンは、龍安寺の石庭にインスパイアされ、「Space Garden」というアルバムまで作っている。 そして様々な出来事を経て、龍安寺は私にとって帰る場所となった。 意味を考えることすら意味がない。これを体現する庭。 その意味は自分で付け加えてあげればいいんだよ、と教えてくれた、大切な友人に連れられ2002年11月、私はこの庭である音楽を聴いた。 15個の石、全部を一度に見ることは出来ない。だが見えない15個めの石に変わるものを、自分で付け加えてあげればいいんだよ、と彼は言った。好きな人を思うのでもいい。家族を思うのでもいい。私はそこで、15個めの石として、音楽を聴いた。 「John Coltrane live at the Birdland / Afro Blue」 そのとき起こったことを忠実に言葉で表現するのは無理かと思われるが、あえて試みてみるならば、静謐で穏やかな石庭が色鮮やかに彩られ、宇宙のパワーと地球のパワーを螺旋状に巻き込みながら力強く躍動してくる感じをうけた。 その強烈な体験は前にも後にもそのとき限りであった。 秋色の陽が差し込む石庭。一時間ほどぼーっとしていただろうか。 多くの人が、方丈を訪れ庭を見て石の数を数え写真を撮り、去って行く。550年の歴史の中で一体何人の人がこの庭を訪れ、そして去って行ったのだろう。そのなかで石庭は、ただ、ただ在り続けるだけ。一休法師は、この庭を見て、何を思っただろう。マイルスデイヴィスはこの庭を見て、何を思っただろう。人々の思いは石庭の上を浮揚し、静かに地と天に吸い込まれていく。 あの場にいると、他のことなどどうでもよくなるから不思議だ。 石庭を誰にも邪魔されず眺めていられることの限りない充足感幸福感。一日でも二日でも、ずっとそうしていられそうな気がする。 私にとっても龍安寺はRefilling Stationとして、今後かけがいのない場所になっていくだろう。あの場所がこの世に存在する事実に、感謝しかない。 みなさんも機会がありましたら、龍安寺の石庭を眺めつつ、なにか一つを付け加えてみてください。 -------------------------------------------------------------------- 今出川通りを東のはしまで走り抜け、銀閣寺に着く。龍安寺でエナジーを充填したらもう他にすることもないようなものだが、いわゆる名刹で見たことのなかった場所を巡ろうと思っていた。 哲学の道の砂利を自転車で蹴飛ばしながら、南禅寺まで下る。南禅寺の庭を愛でるが、どちらかというと目を惹いたのは狩野探幽の襖絵の虎。あの躍動感は素晴らしい。 お昼に軽くうどんでも、と思っていたのだが、京都の飲食店は寺に近くなると高くなる。タイミングをのがしのがし、やっと見つけた手打ちうどん屋でお昼にありつけたのは14時近かっただろうか。それまでぐるぐる巡りつづけて疲れた私は、18時までのレンタル時間を削り15時で自転車を返し、ホテルでシャワーを浴び夜まで一眠りの時間をとった。 ---------------------------------------------------------------------- 夜の祇園、花見小路を歩くと、京都だなあという感じがする。 どうしても、行きたかった、念願の店に行くことができた。 ご飯処、花見小路山ふく。 理由はただ一つ。大好きな作家の行きつけの店。 一膳飯屋。京都でいうところのおばんざいが、庶民の台所のようなあわただしさで、しかも暖かい雰囲気に包まれながらいただける店だ。 祇園でしかも歴史のある店というと、なかなか入るのに気が引けるもの。 何度店の前を往復したかわからない。ただ、今回を逃していつ入るのだ、と自分の背中を押したのはよく覚えている。 ほぼ満席で、ばたばたな店内。外からじゃこれもわからない。 きんぴら 穴子の白焼 いわしの煮付 銀杏 量を聞くと、人数によって器を変え、料金を変えるという。さすが、祇園で遊ぶ若旦那らが小腹を満たすために立ち寄ったその店のシステムは、今でも生きているらしい。 ビールを頼む。だがこのつまみじゃ、ビールは勿体ないと思い直し、途中から日本酒にした。追加に頼んだものは、 烏賊の塩辛 山芋の短冊(わさび) 本当なら好きな作家先生がわざわざ毎回キープした炊き込みご飯まで行きたかった。 だがその後にもお酒を飲もうと思っていたので、なくなく断念。 お店は、すばらしい。いわゆる洗練された今風の店じゃない。おかみさんが、司令塔。アルバイトらしい若者共をどなって動かしていく。 20席強の店の料理を、たった二人の女性が手際よく作っていく。見ていて本当に気持ちがいい。 その後、大好きなバーへ行った。 祇園 サンボア これを超えるバーに、いまだ出会ったことはない。 余計なことを話せない、自分の佇まいをしっかり正さなければいけないような、かといって肩身が狭い思いは決してしないような、稀有なバーである。 この店も元はと言えば、同じ作家の行きつけの店として知った。 だが、今やここは、自分の帰ってくるべき場所としての認識のほうが強い。 祇園にはいい店がいっぱいあるのだろう。それを知る機会があったら、あったでいい。 だがこの「山ふく」「サンボア」には、今後京都に行ったとき、もはや寄らない理由がない。 そんな店があるって、素敵じゃない? サンボアでは、マスターとじっくり話が出来た。主に音楽のことだったけれども、あるピアニストについての話で盛り上がり、僭越ながらマスターの好みでサンボアに似合う音楽のサジェスチョンまでさせていただいた。 心より、嬉しいと思う瞬間であった。 ただ、心地よい時間は長くはなかった。舞妓さんを4人もつれた男性がカウンターを占領し、空気が変わった。 マスターともっと話をしていたいという思いに後ろ髪引かれながら、私は祇園を去った。 -------------------------------------------------------------------------- 10月20日 疲れすぎて、起きられない(笑) 自分の年齢と体力を顧みず、突っ走ってしまった自分を憂う。 布団から自分を引っぱがすのが辛く、結局チェックアウト時間ぎりぎりまでシャワーをあびたり、梅昆布茶を飲んだり、テレビを見たりでだらだらと過ごしてしまった。 向かった先は、東寺。夜に打ち合わせも控えていたりで、あまり遠いところに行く気が起きず、五重塔好きな私に格好な寺へ、日差しに体力を吸い取られながら黙々と歩いた。 思えばここ数年、京都に行ってもいわゆる仏像と対峙していなかった。 仏像自体も国立博物館の唐招提寺展で、この7月だかそれくらいに見た以来だ。 みなさん。東寺講堂の立体曼荼羅は、すごいですよ。 仏教のことを大してわからなくても、あの一体一体の仏像は、造形物としてやばい。 本当に興味深く、時間をかけて見るべき作品群。 四隅の四天王が足で踏みつけている邪鬼たちの表情。たたずまい。 これだけとっても一時間見ていて飽き足らないくらいだ。 メインの大日如来、両脇の阿弥陀如来だの薬師如来だのそういった仏像たちの慈悲の表情に圧倒されるだけで今までは仏像を見てきた気がする。 だが、今回はやはりその背後の、それを造り上げてきた仏師たちに思いが及ぶところがあった。本当に美しいのだ。 アート、である。 そして、何がそこまで彼らを駆り立てたかという部分を無視することができなくなる。 欲求を東寺で予期せず満たした私は、もはや何もすることがなくなった。 とりあえず京都伊勢丹のラーメン小路で、初!尾道ラーメンというものを美味しく食し、14時過ぎの新幹線で東京に戻り、新幹線の中で爆睡。一度家まで荷物を置きに帰ってからさらに青山でハングアウトするという(まあ、打ち合わせ込みですけどね)アグレッシブといえばまあそんな感じな、週末、じゃないな、今週を過ごすことが出来た。 人にはどう映るかわからないけれど、自分としては120%大満足な京都の旅。 今のテンションの通り、駆け抜けた印象は強いけれど、味わうところはしっかりと味わい、こんな旅二度とないだろうなと思うくらいの濃いものでした。 でもその「二度とない」は今までのスタンダードでそう思うのであって、今後はもしかしたらより京都を深く味わえるような自分になるのかと思うと、歳をとるのがとても楽しみに思えてくるね。 ありがとう、京都。 何かあるたびに、訪れる街になると思う。 そこで、また数々の人を受け入れてきた龍安寺の石庭を、一日ぼーっと見ていられるだけで、そして山ふくでご飯を食べサンボアで一杯飲んで、幸せな気持ちになれるだけで、いいや。
by the-beat-goes-on
| 2005-10-23 11:34
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