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矢野顕子。青森の生んだ奇跡であり、日本が世界に誇る音楽界の至宝であることはNYでは皆の知る事実なのだが、彼女の魅力、実力が日本で正当に評価されていないと感じるのは私だけだろうか。
いい加減、「教授の妻」ではなく「坂本美雨の母」ではなく、「矢野顕子」がジャズファンにもロックファンにも、もちろんポップファンにも再認識されるべき時期に来ていると思うのだ。 矢野顕子、アンソニージャクソン、クリフアーモンド。この3人がブルーノート東京でトリオ公演をするようになって3年になる。 驚くべきことにこのトリオ、一年というスパンで毎年、劇的な変化を遂げている。 昨年と同じ、一昨年と同じ展開は、一ヶ所もなかった。曲もほとんどが新しいものばかり。 ご存知の通り矢野さんは大変に忙しい方。来日公演は多くて年に3回、ソングライティング、レコーディング、ラジオ番組、NYでのライブ…。常に多くのプロジェクトを抱えているなかで、何故にこのような変化を遂げることができるのか。 それはひとえに、矢野顕子さんのクリエイティビティの広さ、引出しの多さ、実力の深さからなるものであり、アンソニー、クリフの二人はその彼女の実力を存分にライブリーにダイレクトに表現するためにはもはや絶対不可欠なバディとなっている。 かのパットメセニーが矢野さんに深く心酔していることをご存知のかたは、どれほどいるだろうか。 彼女の書いた「Prayer/祈り」という曲を演奏するとき、パットは矢野顕子に対するリスペクトの念、最大の賛辞を毎回贈る。 パットの公演の時に見かけたパットと矢野さんが語り合う姿。まさに、芸術と真摯に向き合いつづけている戦友同士、という趣きで、お客さんの目の前にもかかわらずファンを誰も寄せつけない空気がそこにはあった。 アンソニー・ジャクソン。ベースを通し音楽を奏でるためだけに生まれてきたひと。それゆえに、命を削りながらベースを弾く。一音一音に、魂がこもる。 エレクトリックの音とは思えない優しい、暖かい音を紡ぎだす、彼のFoderaのコントラベースギター。触れたら崩れてしまいそうなほど繊細な旋律。1トンの重しを乗せられたかのように感じさせるずしっとした低音。まさに楽器と一体化するアンソニー。彼を見ているだけでいつも私は涙が出そうになる。楽器を奏でる姿を見ているだけで、心臓をぐっとつかまれたように感じ、胸がきゅーんとなる。命の危機を乗り越えステージに立ちつづけるアンソニー。生きててくれて本当にありがとう。と思っていたら、私がうるうるする前に目の前に座っていたベーシストが、幸せそうな笑顔で、涙をぬぐっていた。 クリフ・アーモンド。若き、とはいっても随分といろいろなところで経験を積みつづけている実力派ドラマー。見るたびにうまくなる。聞くたびにグルーヴが深くなる。そして今回一番感じたのは、かつてよりもしなやかになった、ということだ。NYのバーで週1回ペースでライブをやっているウェイン・クランツのトリオでもアンソニーとのリズムセクションを組むが、またこの変拍子満載のトリオが彼を一段と大きくしたのではないかと思う。かなり実験的なフレーズまわし、何度聞いてもどこがキメなのかさっぱりわからないまま曲がどんどんと変貌していくようなトリオであり、本人曰くいまだかつてあんなに難しいものはなかった、と。そのチャレンジに真正面から立ち向かい試行錯誤するなかで彼はパワフルになっていく。このままのペースで行けばあと5年もしたらかなりのバケモノになっていそうで楽しみだ。 そして矢野顕子。 昔はわからなかった彼女の魅力。今はあの音楽、彼女の声を浴びるのが気持ちよくてしょうがない。そしてその湧き出てくるような素晴らしい新曲の数々。止まらないクリエイティビティ。心の隙間をつんと突付くような、その詩。 そろそろ本題に入ろう。 私はこのたび、矢野顕子さんの音楽のなかに日本の原風景を見た。 彼女の表現は誰もが心の中に持っている、過去の風景や、日常の風景や、故郷の風景や、恋の風景や、そういったものを切り取り、提示するものであると思う。 切り口がぎざぎざでもかまわない。あるものを、あるがままに、ふっとカバンから出すようなものだ。 そこにあるのは、bitter-sweetness。そして日本の風。匂い。湿り気。 わらべうた、に、似たフィーリングを感じた。 だから、日本人にとっては、少し気恥ずかしいのかもしれない。 いやぁ、でもそんなこと、言ってる場合じゃないでしょう。 この国の原風景を歌を通じて世界に伝えているアーティストを、ほかならぬこの国のひとが、食わず嫌い、しているような、あるジャンルに無理やり片付けようとしているような、そんな感じがする。 もう十分、評価されているでしょう、という意見もあろう。私に言わせれば、まだまだ足りない。まだまだ、狭い。もっと彼女は、広義から再認識され再評価されるべきなんだ。 さいごに。 レイ・ハラカミというアーティストがいる。私も知ったのはせいぜい1ヶ月前というところだが、この人の音楽に心酔している矢野さん、最後に珍しく、レコーディングされたトラック「ばらの花(くるりのリミックス)」にドラムとベースを乗せて、スタンドマイクで歌った。 これが、素晴らしかった。とてもグルーヴィーで、一人で座りながら踊ってしまった。 切なさと美が同居した浮世離れしたトラックを最後に、3人はステージを去っていった。 このまま3人が消えてなくなってしまいそうな感じがして、ちょっぴり寂しくなった。 *写真は矢野さんのウェブサイトより拝借。
by the-beat-goes-on
| 2005-08-18 15:47
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