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彼の岸はいったいどんなところなんだろう。
「彼岸」は死というものに対する恐怖よりも、何か甘美な憧れさえ匂わせる不思議なことばだ。 彼岸花。世の中を達観したようなその佇まいに、耽美な美しさを見る。 それは私のイメージする「彼岸」と、面白いほどに違和感がないのだ。 今日はお墓参りに行った。母、祖母、叔母、私。女4人がたくましくバケツや鋏、鎌などを持ち、4つものお墓をハシゴした。 古来、人々の生活は冠婚葬祭を核として回っていた。 村の中に神社があり、寺があり、墓がある。 墓の中に入るというのは、村の中でのお引越しだ。会いたいときにはすぐに会いに行ける。 佐渡の宿根木という小さな集落がある。江戸時代、千石船の船大工などが住んでいた場所だ。 宿根木の入り口から寺へ続く細い道。石畳の真ん中が1.5センチほどへこんでいるのはそれだけの人が通った証拠。 この道は亡くなった死者の棺を運ぶ道であり「世捨て街道」と呼ばれるという。 街道というにはあまりに細いその道を行くと、寺がある。ここの墓地に皆眠っている。 民家のすぐお隣なのだ。 それから考えると、今の新興墓地の味気なさといったら言葉もない。 日常から死者を隔離することによる人類の精神的な損失は否定できないだろう。 そのなかで文化の匂いを感じるのは、青山墓地と多磨墓地くらい。 墓地は美しい。墓石のたたずまいから個人がどんな人だったのかを想像することは楽しくすらある。約4年ほども行けなかった墓地に、かつて感じられなかった文化を感じることができたことが嬉しかった。 親戚の誰が来ているのかわからないが墓はいずれもきれいにされており、人の気配が残っているほどに活き活きとした花が墓石を飾っていた。 唯一、母方の祖父の墓だけはツツジの生命力に圧倒され肩身のせまそうな感じがしたので、ここぞとばかり植木ばさみを持って植木屋ばりの剪定を30分ばかり試みた。 結果は…。お祖父ちゃんごめんなさい。次回はもっときれいに出来るよう頑張ります。 最後に、父ですら会ったことのない戦死した祖父の、そして父方の家の墓にきた。 祖父の墓前には、榊(さかき)が雄々しく供えられていた。 この祖父は、自慢の長男だった。今でも祖父の兄弟が口をそろえて言うのだから疑いがない。 南方ソロモン諸島沖のコロンバンガラ島で亡くなった。 日本に戻ってきたかったと思う。祖母や、生まれてくる父のことが心配でしょうがなかったと思う。 残された6人の兄弟姉妹は、憧れの兄が帰ってこないと知った時、どう感じたのだろう。 一方、曾祖母は私も良く知っている。彼女は達観していた。自分の長男が戦死したにもかかわらず、ハワイに行きたくて行きたくて自分の名前のサインを練習していたお茶目な人だった。その曾祖母も、今では一緒に墓に入っている。 数年前、私と父は祖母と祖父の兄弟を連れて、ガダルカナルまで行った。亡くなったと思われる海域を、9人乗りのセスナで飛んだ。あの海の色は、言葉の表現を優に超えていた。美しすぎる。 祖母は「こんなに美しい海に眠って、お祖父ちゃんは幸せね」と涙ぐんだ。 戦争を知らない世代と、戦争を知る世代が、一緒に初体験をした。 戦争は、なければそれにこしたことはない。だがあんな熱帯の島まで戦線を伸ばさなければいけなかった理由が必ずあるはずだ。 戦後の空気を存分に吸っていた私のなかに、ある「核」ができた。 戦いたくって戦ったんじゃない。 戦わなきゃいけなかった理由が、誇りがあったはずだ。 墓誌に「昭和11年 巡洋艦○○(伏せているのではなく本当に○で表記されている)にてヨーロッパ巡航」とあった。 祖父は世界を見ていたはずだ。祖父のみならず、その時代に生きた皆が世界を知っていたはず。 理性を持って戦った。 私はいま、アメリカに行こうとしている。 ミュージシャンたちと対等に、芸術の渡りをつけてくるために。 それ以前に、本当にピースフルな関係を再確認するために。 祖父は私のすぐ隣で優しく守ってくれているような気が、今日、した。 ハワイに行きたかった曾祖母も。母方の祖父も、曾祖父母も。沖縄戦で亡くなった、 大叔父も。「感じるままにやってこい」と、彼らは後押ししてくれている。 お墓参りって大切だな。 今日お会いしたみなさんへ。 今までサボっていてごめんなさい。 様々なことを感じられました。 ありがとう、そちらの暮らしは、どんなですか? 音楽はありますか?おいしいものはありますか?みんな踊りますか?うたをうたいますか? 再会できる時まで、今暫くお待ちください。みなさんに恥ずかしくない何かを 持って行きますから、楽しみになさってください。 本日のBGM: Angel Song / Kenny Wheeler, Lee Conitz, Dave Holland, etc 本日のBGMに関する一言: 空中浮遊。魂ってこんな感じなのかな
by the-beat-goes-on
| 2004-09-20 23:06
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