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吉祥寺ハモニカ横丁。
大戦後に出来たバラックの闇市が、昭和の香りを匂わせる名前とともに現存する。 細い路地に連なる店、店、店。最近では吉祥寺の名所の一つになっているとのこと、珍しそうにしげしげと各店舗を眺めながら歩く人も多い。 古参の店、「ささの葉」。30年以上前から毎晩のれん、いや、路地にせり出す小さなテーブルを出してきた。白髪に髭のマスター。お名前もお年も知らない。知っていることといえば、今日マスターの来ている「Georgia」というTシャツは、アトランタにお住まいのお嬢さんが送ってくれたもの、というくらいだ。 もう3年ほど前のことだ。焼き鳥を食べられる店を探していた私たちは、ハモニカ横丁を探索していた。折しもちょうど開店準備をしていた「ささの葉」。ショーケースにはお刺身の盛り合わせが並んでおり、焼き鳥らしきものは見当たらない。 「すみません。」 振り向いたマスターの顔には、「頑固です」と書かれていた。 「はい?」 「あ、あの、焼き鳥って置いてますか?」 こういうお店でこちらがつまみを指定すること自体、愚の骨頂。 「ごめんねー、焼き鳥、やってないんですよ。」 「じゃあ、何かおつまみは…。」 「ご覧の通り、うちは刺身しかないんだ。すみませんね。」 一見の若者二人にマスターが「すみませんね。」と言う。口調はやわらかいが、ウェルカムでないことは確かだった。私たちはささの葉を後にし、引き続き焼き鳥屋を探した。 残念ながら、希望に合致する焼き鳥屋はなかった。刺身でいいか。でも入れてくれるかな?と話しながらもう一度「ささの葉」に戻った私たちをマスターは、カウンターの端の席に通してくれた。「刺身でいいの?」と言いながら。 言われた通り刺身を注文。盛り合わせは一皿一皿全部違い、好きなものを選ぶことができた。このようなバラック街の店には似つかわしくない魚貝の鮮度の素晴らしさに驚いたものだ。 日も暮れて、常連さんらしいお客さんが次々と入ってくる。みなさん新参者である我々を一瞥はするが、居心地の悪い感じはしない。あっという間に、店は満杯になった。 その狭い空間が一つの家のような空気。もちろん家長はマスター。みな、家族団らんのように仲が良く、いい店だなと感じていたところ、あることに気がついた。 隣のテーブルに、どうやら肉らしきものが出ているのだ。 目を凝らしてじっと観察すると、も、モツ煮?あれ?刺身のみって…。 あとからわかったことだ。「ささの葉」にはその日その日で様々なメニューが用意されている。ただし聞かないと、何があるのかわからない。ラフテー(豚三枚肉の煮込み)があることもあれば、レバー(絶品!)があることも。焼売、焼き魚、筍と里芋の炊きあわせ。焼き魚。そしてすべての食材、料理がマスターの厳しい選択眼によって選び抜かれたもので、どれもこれも絶品。 そんなこんなで「ささの葉」を初体験した私たちは、月に2回ほどのペースで吉祥寺のお茶の間に通うこととなった。 マスターはやはり頑固者であった。店に似つかわしくない一見の若者グループが入ってくると、席はたくさん空いているにもかかわらず、「すいません、予約で一杯なんです」と断る。入れたお客さんでも、振る舞いが悪いと追い出す。仲良くなった常連さんに、「あなたたちよく入れたわね」と言われたこともある。 客に背を向け黙々と仕事しているマスターの背中に、すべてのルールが書いてある。そのルールを読めないお客は、入れない。店の秩序も自然と保たれている。マスターに対する畏敬の念、というコンセンサスをもって。 我々もほんの少しずつではあったが、マスターとの距離を縮めることが出来たのかもしれない。階段裏から出して下さった秘酒、「森伊蔵」を飲ませていただいた、あの日の思いは忘れることができない。 「先生」と呼ばれる70代の女性はよく教え子と一緒に飲みにきて、右も左もわからないほどに酔い教え子に送ってもらって帰宅する。「15年前に亡くした夫と「ささの葉」で出会ったの」と、亡くなられたご主人の写真を手に語る女性。カリスマ芸術雑誌の編集をされていたという男性。長唄の名手であろう、腕前を披露して下さった和装の女性。折り返し地点を過ぎた残りの人生の、悲しみも痛みもすべて内包した「豊かさ」。この場所では人に対する敬意をベースに、みな同じ卓を囲み酒を酌み交わす楽しさがある。 約2年前の7月。「ささの葉」は閉まっていた。シャッターの閉まった「ささの葉」は、初めてだった。まさか、と悪い予感が頭をよぎる。そんなとき、ある貼り紙が目に入った。 「一ヶ月間、改装のためお店を閉めます。それに伴い、ささの葉は現地より一歩奥に入ります。」 長年の料理の煙、タバコの煙で濃く色のついた天井や壁はなくなった。壁にびっしり貼付けられていたカニの甲羅や、珍しい「二尾の鯛ラベル」のエビスビールの瓶たちも、なくなった。長いカウンターは3分の2ほどになり、奥行きが少し増えた。今でこそまた落ち着いた雰囲気が戻っているが、改装オープンのおめでたい日、真新しいショーケースや冷蔵庫に囲まれマスターは少し仕事がやりにくそうに、そして気恥ずかしそうに、見えた。旧「ささの葉」から変わらないものは、司牡丹のポスターと、木彫りのエビスビールの看板くらいではなかったか。 となりのサラリーマン3人は、どうやら久々に来たようだ。マスターに何故改装したのかを聞いている。 「いやあ、随分古くなってたし、それから若い子にも店をやってほしいと思ってね。」 そう、もともと「ささの葉」のあった角の区画には、新しく若い男性が店を持った。「ささの葉」は倉庫をつぶし、一歩奥に入った。 となりの店には、まだ足を踏み入れたことがない。なぜなら「ささの葉」の料理とお客さんとマスターに勝るものではないのを、すでに知っているから。だがこの吉祥寺の駅前発展のカギとなったハモニカ横丁にも世継ぎが必要なことを、マスターは長年考えていたのではないかと思う。細い路地裏にあるテナントのシャッターを、ここ2年ほどで若い人たちが随分と開けた。店が増えれば、人も増える。ハモニカ横丁の居酒屋は、最近盛況である。 「ささの葉」の隣のお店は、「コパンダ」という。 私は、グラスに残った瓶出し紹興酒を、ぐいっと飲みほした。
by the-beat-goes-on
| 2005-04-10 15:54
| I love every bite!
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